ベートーヴェン ピアノ第31番変イ長調作品110、ドビュッシー映像1、リスト ピアノソナタロ短調

こんにちは。

またご無沙汰の更新となってしまいました。

リサイタルもいよいよ土曜日と差し迫って参りまして、プログラムノートも完成しました。

作品解説としての内容は、プログラムノートに残していますが、今回取り組んでみたプログラムに対しての雑感などを走り書き程度ですが書き記しておこうかと思います。

今まで、ベートーヴェンの後期の作品に深く取り組んだことがなく、今回が初めてとなりました。

これほどまでに、作品を通して「人間」「生命」のようなものをダイレクトに感じたことは今までなかったように思います。

作品の中では苦悩も多く表現されており、実際、作曲中のベートーヴェンは病により中断を余儀なくされた時期もあったようです。

しかしながら、作品から感じ取れるものは「病」「死」ではなく、圧倒的な人間の命のパワーでした。

言葉にしようとすると安直な表現しか出てこないのですが、このような作品が今日も残され、時代を経て、死の差し迫るベートーヴェンが最後の命のきらめきを音楽を通して非常に直接的に感じることが出来、演奏することができることの素晴らしさに感謝しています。

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私がピアノソロでよく演奏する作曲家は、

J.S.バッハ、ロベルト・シューマン、ベートーヴェン、リスト、たまにプロコフィエフ、ラフマニノフ、スクリャービン

というような並びであり、フランスの作曲家は室内楽作品で時折取り組むことがありますが、レパートリーとして多い方ではないです。

でも、頻繁には弾かないものの、ドビュッシーの作品は好きです。

もっとドビュッシーを深く知って、今後は新たなレパートリーも開拓したい、という気持ちもあり、何度か取り組んだことのある映像第1集を選びました。

今回演奏するベートーヴェン、リストとは全く違うアプローチが必要であり、しばしば苦労しました。

ピアノの前に座って、じっくりと自分自身と、ピアノと対峙するような感覚とは違って、演奏しながら立ち消えたり、浮かんだりする響きを追うような、音の色彩の中で遊んでいるような感覚がドビュッシーにはあります。

求められる音色の種類が非常に多く、それを探していく過程でピアノという楽器の出せる音質の可能性というか、多様さに面白さを感じました。

また、演奏しているときに響きの中にいること独特の心地よさ、のようなものもある気がします。

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おそらく私のレパートリーの中で最も多いのでは、リストの作品ではないかと思います。

密かに、巡礼の年の全曲制覇(??)の演奏会をいつかしたいと画策していたりするのですが。

リストは色々演奏していますが、リストのソナタについては、最も取り組みがいがあるように感じます。

なんというか、説明しやすいところからしていきますと、まず切れ目のない30分という長さを弾くことに特別な感覚があります。聴衆にとってもそうかもしれません。

30分の間、様々なバリエーションのテクニックが要求され、まずそれをとりあえずでも弾けるようにするだけでも骨の折れる作業です。

その中で絶えず変わるテンポ、「天使と悪魔」の錯綜。

それらを理解して、そして自分でコントロールしつつ、テクニックに圧されないように表現しようと模索する過程は、難儀ではありますがとてもやりがいがあるのです。

*

音楽の競争社会の中では、若いうちに大成することが素晴らしいとされる傾向があり、私も多少なりとも特にもっと若い頃はそう思ってきたような気がします。

その競争に勝てなければ、自分には価値がないように思ってしまった時期もありましたが、実はその先にも、逃げずに取り組めばまだまだ音楽の道は続いていたんだ、と最近は気がつきました。

今はもっとシンプルに音楽に取り組むこと自体に面白さや意義を感じられるようになってきたように思います。

普段どんな音楽を聴いているか

すっかりご無沙汰してしまいました。

突然ですが、普段どんな音楽を聴いていますか?

また、どんな音楽が好きですか?

先日ラジオを聴いていたら、最近は車と携帯がBluetoothで繋がっていることが多いので、例えば人を連れて車に乗り込む時に、携帯で聴いてたものがうっかり再生されて恥ずかしい、という話をしていました。

確かに。

明らかに「恥ずかしい」と言えるような内容はともかくとして😅

そうじゃなくても自分が聴いてるものが急に表で再生されたらちょっと恥ずかしいかも。よっぽど親しい関係ならまだしも、浅めの関係だった場合、

あ、こんなの聴いてるんですね〜

的な空気にはなりますよね。

何となく脳内が晒されてしまったような感じはあります。

ちなみにですが、演奏家・音楽家にもいろんなパターンがあり

四六時中ずっとクラシック聴いてる人

全然聞かない人

色々います。

私はどっちかというと後者の方なのかな。

自分が弾いている作品に関連して、聴いているときはありますね。

完全に仕事の範疇です。

イヤホンして音楽聴いたり、スピーカーもそうですけど、ずっと何か鳴ってる状況があんまり得意じゃなく、必要ない時に何かを長時間流してることはないです。

この間ふと

私はベートーヴェンって、よく弾くし自分のレパートリー内の作曲家ではあるけど、私ってベートーヴェン別に好きではなかったな。

と考えてしまいました。

この間6月のコンサートで久しぶりにベートーヴェンの新しいレパートリーを始めてみて、今この歳になって、ベートーヴェン、いいな。と思ったんですよね。op.110が心に響いたというのもあるかもしれません。

時代を超えて、苦悩・喜び・悲しみを作品からこんなにもダイレクトに感じ取れる、やっぱりベートーヴェンはすごい。

考えてみれば、今までは、好きというよりも、解釈することに難がないから(ドイツ時代、大学生の時の恩師は生粋のドイツ音楽の専門家だった)、弾いていました。

ベートーヴェンは大変良いのですが、立派なんですが、立派だからこそ?ベートーヴェンを毎日聴く気には全然なれない。

台風前、夜風が涼しい夏の夜、今日は、ドビュッシーのLa Merを聴いて眠りにつくことにします。

(急に、、、😅)

 

 

ピアノをすると頭が良くなる?

こんにちは!

さて、タイトルのような話をお聞きになったことは一度はあるのではないのでしょうか?

ピアノはこどもの脳への刺激になる

認知症の予防になる

など。

ピアノだけではなくて、他のものでもこのような文言はよく聞きますよね。

どう思いますか?

すいません、私は心が汚れているのか、正直胡散臭いと思ってしまいます😂

キャッチコピーとして掲げるのは、胡散臭いとは思うものの、まぁピアノは確かに一度に色々なことをするので、そういうところから来ているのか、、??

私なりにピアノを弾く、ということは結局何をしているのか?

習い事として一体何にプラスになるのか?ということを考えてみました。

ピアノを弾く、という作業を紐解くと。

・楽譜を読む

これがまずできないと大変だ!

さらに楽譜を読む、ということを紐解くと、

つまり

ドレミで言うとなんの音なのかを読み取り、リズムを読み取り、それが鍵盤の上ではどこなのかを考える

・弾く

実際に弾かないと意味がない!

楽譜を読み取り、今度は実際に弾きます♫

指の番号を考えて、手を置いて、鍵盤をタッチ。

よし。

・聴く

自分の音が今度は耳に入ってきます。

聴かないことにはどうしようもない。

楽譜通り弾けているのか?理想の音になっているのか?

・感じる

自分の出した音を聞いて、今度は感じ取る。

これはある程度進まないと、感じ取るまではいかないのかもしれませんが、単純に言えば、暗い和音を聴いて、苦しい曲なのかな?と思ったり、美しいなと思ったり。

・踏む

これもある程度進まないとありませんが、ピアノにはペダルという機能がついており、足で踏んで使います。

響きを豊かにしたり、手だけでは不可能な箇所の音を繋いだり、または音色を変えるために使用することもあります。

見た目としては、車のアクセルのように踏むのですが、ペダルはとても繊細な技術が必要です。

自分の耳で聴きながら、足をコントロールしなくてはいけない

ざっと紐解いてみましたが、かなり複雑なことを一瞬にしてしなくてはいけないですね・・・。(他人事みたいになってしまいましたが😂)

おそらく、これくらい同時進行で色々なことをしなくてはいけないので、頭にいい、脳に良いなどと言われるのかもしれません。

私としては、あまり難しいことは考えずに、それぞれの生活スタイルや、お子さんであれば成長に合わせて、ピアノという時間、音楽をする時間を取り入れて、より豊かな人生にするお手伝いとなればそれで良しと思います☺️💕

子供が楽譜を読めない・・・?

さて、

なんだかんだで、ピアノを教え始めてからすでに7年ほど経っていると気がついいた最近😧

保護者の方からピアノについての相談を受ける中、やはり一番多いのが

うちの子、なかなか楽譜が読めなくて・・・

という相談です。

楽譜を読むなことを読譜、と言います。

これについては、先生によって指導方法や考え方が様々で、楽譜は読めなくていい、という方針のお教室もたくさんあり、耳で覚える、手で覚える、という方法で進めていくやり方もあります。

ですが、MOEKA PIANOでは読譜はやはり大切なもの、として進めています。

なぜなのか。

・ 楽譜は音楽をする上で最も大切なもの。バイブル。聖書!

究極、楽譜に書いてあることを全て実行できればそれだけで美しい音楽なのです✨

楽譜には色々な情報が詰まっています。

音の高さ・リズム・強弱・指の番号

そして、先生が注意を書き込むのも楽譜ですね。

楽譜を見ないと、注意も直さなくなっちゃいます(⌒-⌒; )

・将来的に、楽譜を読めなければ趣味で弾くことも難しくなる

小さい頃は、音の数も少ない上、覚えも早いので手の形で覚えるのも、耳で音を覚えるのも、簡単にできます。

しかし、上達していくにつれ、曲はどんどん複雑に・・・

リズムも最初は単純だったのが、難しくなっていき、音の数も増えていきます。

そうすると、耳や手で覚えるのが限界に・・・。

そして、大きくなってきたらやはりある程度は自分で楽譜をみて形にできることが理想。

小学校高学年になって、塾などでピアノをやめてしまったとして、読譜がきちんとできれば、大人になってもう一度ピアノをしたいなと思ったときにも、きっと弾けると思います。

以上の理由から(もっと理由あるかも🧐)、私はやはり楽譜を読むことは大事にしたいと思っています。

しかし、こればかりはかなりの個人差がある!

早々に、楽譜をスラスラ読めるようになる子もいれば、どうしても苦手な子も。

原因としては性格によって色々あり、そもそも読む気がない子、音符を場所の違いではなかなか認識できない子、レッスンだと緊張しちゃう子・・・など。

しかし諦めない!

これに関しては、近道はあまりなくて、とにかく楽譜をたくさん目にすること。

基本的には暗記と一緒です。

レッスン中は音符カードを使ったり、初めての曲を一緒に練習したり、を繰り返して読譜を続けるようにしています。

一旦覚えてしまえば、もはや平仮名を読むことと同じです。

知らない言語を、少しずつ読むことと音符を読むことは似ている。

楽しみながら、読譜は進めていきたいものですね🤗

ピアノが好きだから練習も苦じゃない!?

こんにちは!

さて、先日ピアノの練習について、ある時話をしていた時に

いやー大人でさえ練習って大変ですよ、怠いなぁサボりたいと思うこともたくさんあるので子供なんかはもっともっと大変なのは間違いないし、練習したくないのは当たり前のことですよ

と私がふともらした言葉に

えっでもピアノが大好きなのでは???

と聞かれて、どう説明すればいいのか困ったことがありました。

皆さんはカレーライス好きですか?カレーが苦手って人はあんまりいないと思いますが。

例えば、1年間365日、まぁじゃあたまの休みはあったとして330日くらい毎日毎日毎日カレー食べてたらどうでしょうか。

カレー食べるタイミングでお腹いっぱいの時もあります。眠いし疲れてる時もある。見たいテレビや他にやりたいこと、行きたい場所があるかもしれない。

でも毎日絶対家でカレー食べなきゃいけない。

え?カレー食べるの辛いの?カレー好きなんじゃないの・・・・?

😆

いやいや・・・

ってなりますよね。特に専門的にやればやるほど、ずっと向き合うのだから余計にそういう気持ちにもなると思います。

これはオリンピック選手とかでも絶対同じだと思います。

走るの好きだからって、毎日楽しく走ってるわけではない、むしろ走る楽しみよりも苦しい瞬間の方が何倍も多いことでしょう。しかし、その分少しでも身になった時の喜びは大きく、何にも代えがたいことでしょう。

練習が辛い < 上手になりたい

練習が辛い < 上手になった喜び

という感じなので、できてるんじゃないかなぁ。

あとは、身近なものに置き換えると、子育ては大変だけど子供の成長は何にも代えがたいもの、と言いますね。

泣いて喚いて、寝ない赤ちゃんを大きく育てるのは本当に大変でしょう。自分のことを後回しにして、すごいね、育児が好きなんだねって、

いや、違う^^;

ってなるんじゃないでしょうか。

育児の辛さ < 子供の成長の喜び

だから頑張れる、みたいな感じです。ピアノは自分の子供みたいなものです。

ブサイクでも(下手くそでも)なんでも、自分の子だから。

趣味ですると、楽しめるってのは、元は子供好きなので親戚の子をたまに預かるとこころ穏やかに可愛がってあげられる、みたいな感じです。

ピアノの練習って本当に地味だし孤独だし、新しい曲で複雑なものをするのは私でも辛いです。

新しく複雑な曲を譜読みするのは、読めない言語で書かれた本(まーアラビア語みたいな)を辞書を引きながら、少しずつ解読するような作業と思っていただけば良いです。1時間もすれば頭はすごく疲れます。

好き、だけで済まされない愛憎みたいなのがピアノにはある気がします。

たくさんの辛さ < ピアノ