ピアニストとゆとり教育?

こんにちは。

またまたブログの更新をサボってしまいました🙇‍♀️

月末に本番があり、コンサートではないのでご案内はできませんがそれに向けての練習とレッスンで相変わらずの日々です。その前は去年に引き続きドイツにも行っていました。昔住んでいた街はフランスにも近かったので、フランスにも行くことができました。ちなみに住んでいた街は相変わらず、地下鉄工事中で街の景観はしっちゃかめっちゃかでした^^;

まだまだ言葉も感覚も忘れてなくて、日本にいるのが現実なのか、ドイツにいるのが現実なのか、なんだかタイムスリップしたみたいで行くといつも不思議な感じなります。

さて、あるピアノの先生がおっしゃっていたことで、確かに、、と思ったことがあり

日本人はサッカーや野球、部活などのスポーツを頑張っていることはとても評価する。

でもピアノを一生懸命やってると、ピアニストでもさせる気なの?子供が可哀想、とかちょっと軽蔑した言い方をされることがある。汗を流すことだけが、頑張っていることではないのに、、と。

私が小さい頃も、子供ながらに覚えているのですがピアノ頑張ってるね〜と褒めてくれる大人もたくさんいましたが

母に向けて、そんなにやらせてどうする気?という意味合いのことを投げかけている人もたくさんいました。

学校の部活を頑張ってる子に、サッカー選手にでもなるの?そんなにやってどうするの、って聞く人いないですよね。笑

スポーツを頑張ることに比べてそういう疑問が多いのは学校でやってることじゃないから、ピアノってお金かかりそうだから、スポーツじゃないし協調性生まれないから、、などの理由でしょうか。

私はいわゆるゆとりと言われた教育世代でしたが、ピアノをやっていたおかげでそんなものとは無縁でした。

特に9歳から習い始めた音大の先生はとてもとても厳しく、頑張って練習したつもりでも、上手になっていなければ

一体どこを練習したの!?下手くそ!身が入ってない!言われたことは一回で直す、今すぐ直す。人の言うことは素直に聞く、頑固者は一生良くならない。

と大声で怒鳴られることは日常茶飯事。ピアノ以外の躾に関しても徹底的に教え込まれました。親の振る舞いや礼儀に関してもとても厳しく、ストレートに注意していました。

その結果、目上の人にはどう接するべきか、そして人に注意されるのも怒られるのにも打たれ強くなり、かなりの耐性がつきました。加えて、練習は孤独です。ステージに上がるのには誰にでも少なからず恐怖や強い緊張があります。自分より上手な人は上を見ればキリがなく、負けた気持ちになる悔しさも時にはあります。

お陰様で、ピアノ以外でピアノよりも厳しい、大変だ、乗り越えられない、と感じることは大概ないくらい気持ちが鍛えられました。

ピアノは本気でやれば、

・練習は自分との戦い、自己管理と計画。

・人の前で注目されてたった一人で演奏する度胸。知らない場所でいきなり弾く場慣れ

・自分より上手な人が大勢いる中で、自分だけの良さを信じるメンタルの強さ

・注意されてそれを素直に受け入れる、何か言われても凹むのではなくて自分の糧にしようとする気持ち

・長い練習やレッスンに耐える集中力

etc…

など多くのことが身につきます。なんでも一つのことを極めようと本気でするって将来どうこうではなく、大変な分得るものが大きいです。

ぜひ、ピアノを本気でやっている子がいたら褒めてあげてほしいものです♬

戦うな!

戦うな!

これはカールスルーエ時代の私の先生が

度々私に言っていたことです。

初めは言われている意味がわかりませんでした。音楽的なことでもなければ、音が汚いとかそういうことを言っているわけでもないみたいで、自分と、ピアノと戦うなって意味のようでした。

ですが先生は必ず、私がメンタル的に追い込まれた状態で苦しんだ末、「頑張って」弾いた本番の時にこれを言ってきました。

不思議なことに、他の誰にも戦ってる感は伝わってないのですが、私もよく弾けた、と思ってもなぜか先生にだけは伝わっていたみたいです。門下生のほぼ全員が言われていたようでみんなあんまり意味がわかってないみたいでした。笑

その意味は先生の演奏を生で聴いた時に納得しました。

静寂な心で、ただその一瞬を楽しむその音楽は心に暖かく自然と入ってくるものでした。

これもできます、あれもできます!自分に負けない!圧倒する!

とかではなく本当に自然なものでした。

まだまだこの境地には達するのには時間がかかりそうですが、もっともっと経験を積んでいつかそういう音楽がしたいなーと久しぶりに先生のことをゆっくりと思っていました^^

細かいことはあんまり言わない先生でしたが、大事なことを残してくれたんですね。

音楽性のあるひと、は音楽の魔法使いなのか

こんにちは!

さてさて、私は子供の頃から高校生くらいの間までしょっちゅう

音楽性がない

歌えない

と言われてきた子供でした^^;

もっとここは優しく〜悲しく〜可愛く〜綺麗に〜恋をしているみたいに〜

ピアノは心が大事でしょう!

など色々な形容詞で注意されるのですが、自分としては精一杯イメージしているつもり、

歌っているつもり、心を使っているつもり、なのに聴く側からはどうやら全く違うようなのです。

特に高校生くらいの頃は本当に思い悩み、一小節を何時間もかけて弾いてもさっぱりわからない、ということもよくありました。

歌も好きで、音程の問題ではなくてフレーズを考えて歌うことは上手にできる、なのにいざピアノで弾くと全く伝わらない、そういう状況でした( ̄O ̄;)

イメージが足りないとなんども言われるので悩んだ挙句、部屋を真っ暗にして怖そうな音を出そうとしたこともありました😂バカみたいですが、それくらい思い悩んでいたのです。

ドイツに渡ったばかりのまだ10代の頃、

このフレーズはここをめがけて弾いていくでしょう?全然向かってないけど

とある日注意されました。

自分としてはやっているつもり、、

ですが、ゆっくり弾いてみてと言われて弾くと音の大きさが結局ほぼ一緒だったのです。

向かってるように聞かせるためには、、魔法でも心でもなくてまずは音をそこに目がけて少しずつ大きくする、

そしてゴールの音をよく響かせる、というとても基本的なことが大事だったわけです。

音楽ではイメージも大切ですが、言葉にも抑揚があるように音にも考えて抑揚をつけることが大事、そして音楽的にするのには計算と、考えと練習が大切なんだ、と知りかなりの衝撃を受けたのでした。

私にとってそれまで歌えている演奏、音楽的な演奏、というのは何がどう?というのは全くわかっていなくてぼんやりしたものだったのです。それを分かってない、ということ自体を自覚もしていなくて、ただ自分は音楽性がないひと、と思っていました。

なぞなぞの答えが出たように思いました。

自分の経験から、人に教えるときは曲のイメージもたくさん話しますが、フレーズが綺麗にできていない時にはなるべく曖昧な言葉を使わないように心がけています。

悲しい、というイメージを持っているなら具体的にはどうしたらここは悲しそうな音が出るのか?も一緒に考えることがより助けになるのではないかと思います!

自然に見せる、ということの裏にはたくさんの練習と緻密な計算がある、というお話でした^^