新規の生徒さんを数名募集しております。
ご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。体験レッスンも行っております。
3歳のお子様〜大人の方まで対応しています。
京都市役所前のアクセス良好な場所で、本格的な個人のピアノレッスンが可能です。
また、生徒さんに合わせた柔軟なレッスンスタイルで、曜日固定のみのレッスンではなく、フレキスブルなスケジュールでレッスンをお受けになりたい方にも対応可能です。
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私が、18歳でドイツに渡ってからの恩師であったミヒャエル・ロイシュナー先生が昨年の10月に亡くなっていたことを今日知った。
昨年の10月末と言えば、ピアノリサイタルの前の準備に追われていたせいなのか、どういうわけなのか今になって知った。
実は、11月のリサイタルの録画を先生に送って、時間があったら聴いてほしいとメールしていて、返信がないことが気になっていた。
日本へ帰国した後も、先生との繋がりは途絶えておらず、度々録音や録画を送ったり、ドイツへ行った際には自宅を訪問したこともあった。
先生は、どんなに忙しくても必ず録音は全て聴いてコメントしてくれていたので、もしかして具合が悪いのかもしれない、、と思っていた。
ロイシュナー先生との想い出、先生から教わったことを綴ろうと思う。
ロイシュナー先生は、Ordentlich(きちんとした、整理された), pünktlich(厳守された), というドイツ語がピタッと当てはまるような先生だった。
趣味はハイキング。
夏になると、門下生一同で大学の裏から出発して山を越えて先生のうちまでハイキングする。最後はみんなでテラスでBBQをした。
朝は8:30からレッスンする。
1分も早く始まることはないし、1分も遅く始まることもない。
終わる時間もぴったり。
どんなに忙しくともレッスンを休むことはなかった。
私は、先生の退官直前のいわば最後の学部の卒業生であった。
ドイツ語に関しては、3までしか数えられないレベルで渡独してしまった私を、大学の事務局と交渉して押し込んでくれた。笑
自由で奔放な芸術家タイプ、とは全く違い、几帳面、人格者、哲学者、博識、という言葉がぴったりに思う。大学の講義についても、いい加減にせずしっかり受けるようにと注意されたことも覚えている
ドイツ音楽のビート、音楽を強く持っているピアニストだった。
ドイツに渡ってから最初の1年くらいはずっと
テンポがない
テンポが悪い
テンポがわからない
と言われ続けたように思う。
常に、自分自身をdirigieren(指揮)するようにと言われた。
古典派以降の作品であっても、どんな作品であってもPlus(脈)を失わないように。
これをまずは徹底された。
日本人はきっちりしているというが、割と日本では大きくテンポから外れた演奏や、楽譜から離れている演奏も、パッと聴きの演奏効果が高ければ受け入れられているように思う。
18歳の私には、先生がなぜそんなにテンポのことしか言わないのか、楽譜に書いてることしか言わないのか全くわからなかった。また、先生の言う通りにすると、なんとなくダサい演奏になる気がしていた。
これは、テンポの中で、そして楽譜に書かれたことを守りながら表現することが全くできてないせいだったのだが、、
テンポ、アーティキレーション、強弱を正しく弾くこと。
これがいかに大切なことであるか。
先生に、問うてももう答えは返ってこない。でも、もう大丈夫。
先生が何とコメントするかは、もう自分で分かるように思う。
先生は確実に私の中で生き続けている。
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こんにちは。
またご無沙汰の更新となってしまいました。
リサイタルもいよいよ土曜日と差し迫って参りまして、プログラムノートも完成しました。
作品解説としての内容は、プログラムノートに残していますが、今回取り組んでみたプログラムに対しての雑感などを走り書き程度ですが書き記しておこうかと思います。
今まで、ベートーヴェンの後期の作品に深く取り組んだことがなく、今回が初めてとなりました。
これほどまでに、作品を通して「人間」「生命」のようなものをダイレクトに感じたことは今までなかったように思います。
作品の中では苦悩も多く表現されており、実際、作曲中のベートーヴェンは病により中断を余儀なくされた時期もあったようです。
しかしながら、作品から感じ取れるものは「病」「死」ではなく、圧倒的な人間の命のパワーでした。
言葉にしようとすると安直な表現しか出てこないのですが、このような作品が今日も残され、時代を経て、死の差し迫るベートーヴェンが最後の命のきらめきを音楽を通して非常に直接的に感じることが出来、演奏することができることの素晴らしさに感謝しています。
*
私がピアノソロでよく演奏する作曲家は、
J.S.バッハ、ロベルト・シューマン、ベートーヴェン、リスト、たまにプロコフィエフ、ラフマニノフ、スクリャービン
というような並びであり、フランスの作曲家は室内楽作品で時折取り組むことがありますが、レパートリーとして多い方ではないです。
でも、頻繁には弾かないものの、ドビュッシーの作品は好きです。
もっとドビュッシーを深く知って、今後は新たなレパートリーも開拓したい、という気持ちもあり、何度か取り組んだことのある映像第1集を選びました。
今回演奏するベートーヴェン、リストとは全く違うアプローチが必要であり、しばしば苦労しました。
ピアノの前に座って、じっくりと自分自身と、ピアノと対峙するような感覚とは違って、演奏しながら立ち消えたり、浮かんだりする響きを追うような、音の色彩の中で遊んでいるような感覚がドビュッシーにはあります。
求められる音色の種類が非常に多く、それを探していく過程でピアノという楽器の出せる音質の可能性というか、多様さに面白さを感じました。
また、演奏しているときに響きの中にいること独特の心地よさ、のようなものもある気がします。
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おそらく私のレパートリーの中で最も多いのでは、リストの作品ではないかと思います。
密かに、巡礼の年の全曲制覇(??)の演奏会をいつかしたいと画策していたりするのですが。
リストは色々演奏していますが、リストのソナタについては、最も取り組みがいがあるように感じます。
なんというか、説明しやすいところからしていきますと、まず切れ目のない30分という長さを弾くことに特別な感覚があります。聴衆にとってもそうかもしれません。
30分の間、様々なバリエーションのテクニックが要求され、まずそれをとりあえずでも弾けるようにするだけでも骨の折れる作業です。
その中で絶えず変わるテンポ、「天使と悪魔」の錯綜。
それらを理解して、そして自分でコントロールしつつ、テクニックに圧されないように表現しようと模索する過程は、難儀ではありますがとてもやりがいがあるのです。
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音楽の競争社会の中では、若いうちに大成することが素晴らしいとされる傾向があり、私も多少なりとも特にもっと若い頃はそう思ってきたような気がします。
その競争に勝てなければ、自分には価値がないように思ってしまった時期もありましたが、実はその先にも、逃げずに取り組めばまだまだ音楽の道は続いていたんだ、と最近は気がつきました。
今はもっとシンプルに音楽に取り組むこと自体に面白さや意義を感じられるようになってきたように思います。