もえかの小話:初めてのヨーロッパ。ウィーン

こんにちは。

最近は筆まめになっている私ですが。いつまで続くのやら・・・

不定期更新、もえかの小話シリーズです。こちらでは主に過去の話、ピアノのことやドイツのことなど書きたいことをランダムに書いていくシリーズです。

オチがあまりない話なのでチルってる時にぜひお読みください。

今日は、初めてヨーロッパへ行った時のことを書きたいと思います。

12歳の時だったと思います。

クラシックを勉強するなら、本場の空気を吸うべきではないのか?と母がオーストリア、音楽の都・ウィーンへ連れて行ってくれました。母娘、フリープランの個人旅行。母は特別に英語ができるわけでもないし、ヨーロッパなんて行ったことなかったし、当時はインターネットなんか使ってなかったし。

今考えるとかなり無謀な旅でしたが、鮮明に覚えています。

10日?2週間くらい?だったかなぁ。

長距離飛行機は乗ったことないし、オーストリア航空で行ったので機内のCAさんは12歳の私からみてバリバリの外国人。大きい。金髪。

すでに腰が引けたし、Water please と注文してる母がカッコよく見え、小さな声でしか言えない自分がダメだなぁとすでに飛行機から萎縮気味でした。

飛行機から降り立ち、ホテルへ到着してすでに疲労困憊。

ベットで寝転がっていると、母が一言

何やってるのよ、外へ散歩へ行くのよ!!!!

😫

まじですか。辛い。時差ボケで眠いしもう疲れたと思いつつ外へ連れ出され、当時はスマホなんかないので紙の地図を握りしめて、地図とにらめっこする母にくっついて市街の散策へと向かったのをよく覚えています。

当時、アジア人の子供、が特に珍しかったのかどこへ行ってもとにかくジロジロ見られる。気まずい。

水を買おうとしても、日本みたいにすぐ買えない。

買ったらわけわからん炭酸が入ってる、普通の水はどこですか。

街は綺麗だし建物もすごいけど、夜になると予想以上にその歴史ある感じが不気味に見える

シュニッツェルって有名でガイドブック載ってたけど正直、薄いトンカツだよな

ヨーロッパの夏って日差しの下はすっごい暑いのに日陰になると肌寒い

とか( ´_ゝ`)

くだらないことのようですが、何もかも初めてで新鮮に感じました。

サウンド・オブミュージックの舞台となった場所へ行った日は、日本人コーディネーターに案内してもらい、その人のこともよく覚えています。

おじさんでしたが、とにかく1キロもズレがなく高速を最初から最後まで同じ速度で走る人でした。あまりにも単調な走り方すぎて、私は後部座席から速度計を観察することにしたのです。

そして、色々教会などにも行っておじさんがドイツ人(あ、オーストリア人か)と会話してるのを後ろから見ていましたが、子供ながらに

ドイツ語下手じゃない????ダイジョーブか?

と思っていました・:*+.\(( °ω° ))/.:+ オーストリアも訛ってますが公用語はドイツ語です。ドイツ語なんか私がその当時話せるわけもないのですが、聞いた感じでめちゃくちゃカタカナっぽい語感だったんです。

そんなこんなで、初めてのウィーン旅行はシェーンブルン宮殿のトイレで、旅行前に買ったばかりのデジカメを無くしたりもしましたが^^;

シューベルトの生家に行ったら子供だったからか当時使っていたピアノを弾かせてもらえ、道中迷いつつもベートーヴェンが遺書を遺した家にも行くことができ、確か誰かのお墓にも行けたと思う。

ヨーロッパの風を一瞬でも感じることができて、有意義な旅となりました。

あの歳で行ったからこそ感じ取れた何か、もあったと思います。

このウィーンが私のその後の人生の分岐点とも繋がっていくのでした。

続く。

もえかの小話 昔、上に住んでたおじさん

こんにちは。

私の子供時代やドイツの頃の小話を気まぐれに更新していくシリーズです。

気まぐれなので時系列にするのはやめて書きたいことを、ランダムにUPしていきます^^

🎵

私がドイツの音大に入った時は、18歳の時でした。

それまでピアノばっかりで、それ以外のことはとても真面目な子とは言えない、かなりお馬鹿で今以上に世間知らずだったことと思います。

日本人の大学の先輩にお守りをしてもらい、ようやく見つけた家は築100年の昔は馬小屋だったのでは、、というくらい古いアパートの一階でした。他の新しい家もたくさんみましたがなぜかそこに決めたのです。

これまたお手伝いをたくさんしてもらって組み立てた、新品のイケアのベッドの上で引越し後初めて眠りにつきました。

翌朝、起き上がると

黒い・・・・・

極度の近視なので起きたてでは何も見えないのですが、真新しいベッドシーツの上は真っ黒。近づいて凝視すると、それは大量の蟻さんでした🐜!!ひぇ😭

なぜか人が活動していると全くいないのですが、日中留守にして帰ると浴室のタイルの隙間や他の場所にも大量に蟻さん🐜は暮らしているようでした。

ガムテープで目張りしたりホームセンターで買ってきた蟻さんトラップを仕掛けるも効果なし。戸棚に置いた蜂蜜🍯にまでくっついている始末でした。

無い頭を絞って考えたのは

他の部屋も同じ・・・?

ドイツ語も、本当に3までしか数が数えられず、自己紹介も名前しか言えない程度の語学力だったので(先生の権限で語学は免除してもらって入学しました😅当時は音大は語学についてあまり厳しくなかったのです)、日本から持ってきた神器(電子辞書)で蟻を検索。Ameisen、Ameisen、、と繰り返し呟き勇気を振り絞って上の階の部屋をノックしました。

出てきたのはチリチリのロン毛でやせ細ったおじさんでした。玄関先から見えた家の中は、ありえないくらいの物で溢れかえるいわゆるゴミ部屋でした。

はろーー。。えっえっAmeisen,,,,Ameisen,,(蟻、、蟻),,, Mein Zimmer(私の部屋),,,,

と意味不明だったと思いますが、おじさんは何かを理解したらしく言ってる意味はよくわからないのですが

蟻程度、何か??

というようなリアクションっぽいことは理解できました。

その後、日本人の先輩も連れて、おじさんにもう一度聞きに行ったり大家さんに聞きましたが全員

蟻で死ぬことはない

という回答で絶望しました。どうやらドイツ人の虫に対する感覚は何か違うようだと理解しました。

結果的に、日本からダメもとで送ってもらった蟻駆除の薬がドイツ蟻🐜には耐性がなかったのか劇的な効果を発揮しそれ以来姿を見ることはなくなりました。

以来、上の階のおじさんとは顔見知りになり、缶切りを借りに行ったり、会うと言葉を少し交わすようになりました。

おじさんはドイツ語がド下手な私にもかなり辛抱強く対応してくれて、缶切りが伝わらない時もジェスチャーで一生懸命理解しようとしてくれました。

不思議だったのはおじさんは洗濯物を種類別で洗って干すということです。(洗濯機も共有のアパートが多い)

そのアパートでは中庭に洗濯を干すのですが、おじさんは

靴下×20

の日もあれば

シャツ×10

の日もある、というような具合で種類別に洗っていました。

おじさんとはアパートだけではなく街中ですれ違うこともありましたが、いつも色々と彼氏を堂々と連れて歩いていました。

その家を引っ越すことになった数日前、おじさんに

今度日本でハサミ買ってきてくれない?(もちろんお金は建て替えで)僕は美容師で日本のハサミは世界一なんだ

と頼まれたのですが、結局色々と忙しくその約束は忘れてしまい果たせないままでした。

あの心優しいおじさん元気かな、とたまに思い出すとハサミ買ってきてあげればよかったな、とちょっとだけ後悔します😓

(続く)

もえかの小話 初めての大学の先生

こんにちは!

私の話すピアノやドイツの小話が結構面白いらしく^^;

こちらのブログに少しずつエッセイ風にまとめていこうと思います。

🎵

5歳からピアノを始めた私の、小2の時の私のピアノの実力は、いたって「普通」

母がピアノをかじっていたので練習は見てもらっていて、家には生まれた時からグランドピアがありました。その分他の子より少しだけ進度が早いかな?というレベルでした。

当時習っていた地元の先生に、コンクール受けてみない?と言われて、受けることになったコンクール。

他にも数人、同じコンクールを受ける子がいて私は言い方は悪いですが、ついでに誘われた感じが子供ながらにしていました。笑

夏休み返上で準備はしたものの、予選通過もあまり期待されていない状態だった上、当日は止まってしまったのにラッキーなことに予選を通過することができました。子供の頃にコンクールっ子になるのは私は賛成ではありませんが、(もちろん、上達のために適度に利用するのは大賛成)あれがきっかけで練習量も増えて意識も変わったような気がします。

そしてその翌年、小学校3年生の夏、地元の先生に連れられて「東京の音楽大学の教授」に初めてレッスンを受けることになったのです。

その日は小学校を早退して、夏だったので汗だくで、そのまま行くわけにはいかないので駅までの車の中で着替えをして電車に揺られること小1時間。電車を降りると、バスに乗り換えてその冷房がキツかったことまでよく覚えています。

ようやく「東京の音大の準教授大先生のお宅」の家に到着。ですが礼儀としてお宅に早々と押しかけるのは失礼、ということでお隣の空き地で地元の先生、母、私の3人で日傘を差して暑い暑い太陽の下、お喋りをしながら待ちました。

小3の私の頭の中には、教授というとドラマでみる上下グレーのスーツに、メガネをかけた厳しくお堅い先生のイメージしかありませんでした。とにかく未知で、一体今日はどんなレッスンになるのか不安でいっぱい。

当時大変内気で内向的だった私ですが、この時ばかりは大きな声でご挨拶しないと、と思い

玄関に入るなり、お邪魔します!と大声で声をかけると

「はいはいどうも〜いらっしゃい」

と出迎えてくれたその先生は、私のイメージとは真逆の

真っ赤なトップスに、細い細い脚にレギンスを履いたとてつもなくモダンで、上品で、お洒落で美しい先生でした。

その日の初めてのレッスンは約3時間にもおよび、レッスンが終わった後はまたバスに乗って、帰り道の不二家で食べたホットケーキの味は忘れられない、充実の味でもあり、私の本格的なピアノ人生の始まりの味でもあります。

(続く)